2013/01/31
2年ぶりのミャンマー
今日はミャンマーをご紹介いたします。
今月の9日から10日間ぐらい母国のミャンマーに一時帰国しました。
今回の一時帰国は韓国、ソウルの仁川国際空港から乗り換えでした。
比較的に韓国航空は安いです。
もっと安いのは中国航空ですが、中国の乗り換えの場合は中国で一泊泊まることになるので、
ミャンマー人はあまり利用していません。
だいたい2年ぶりの一時帰国でしたので、とてもわくわくしていました。
前はミャンマーに到着する飛行機は小さい飛行機ばかりでしたが、
今回はとても大きい飛行機で、しかも飛行機は満席でした。
外国人の中で日本人は半分以上でした。
皆さんを見て感謝の気持ちを感じました。
あこがれの国の方々に自分の国に興味を持っていただいて、本当に感謝しています。
日本から14時出発で、夜11時(日本の時刻は朝1:30)にミャンマーに到着しました。
知り合いの日本人の方と一緒でしたので、迎えに来てくれた親が日本レストランに連れて行ってくれました。
「せっかく帰ってきたのに、なんで日本食なの!」と思いつつ、キムチラーメンを注文しました。
値段はだいたい200円ぐらいでした。
日本人から見たら安いと思うはずですが、値段を聞いた瞬間、母親がショックを受けた顔でした(^_^)
食事しながら翌日から日本に戻る日までのスケジュールを作りました。
幸い、日曜日一日は休みしていただきました。
ティラワ経済特区に早速行ってみたいと日本人の方に意見をいただいたので、
翌日はティラワ経済特区へ行くことにしました。
ティラワ経済特区はヤンゴンから約30分で海と近いところです。
こちらはティラワ経済特区の入り口の写真です。
まだ、何もない状態ですが、徐々に新しいビジネス町が出来上がるでしょう?
今も何個かの工場や住宅が出来上がっています。
JETRO 日本貿易振興機構(ジェトロ)でも「「ミャンマー・ティラワ経済特区SEZ」現地視察&説明会」などが開かれています。
こちらはティラワ経済特区の計画完成図です。
ティラワから帰ったら、神社でお参りしたいということで、ミャンマーで一番有名なシュエダゴン・パゴダを案内しました。
入場料はミャンマー人は無料ですが、外国人は5ドルになります。
とても気持ちが落ち着くところで、ミャンマー人たちが一番大事にしている場所です。
シュエダゴン・パゴダは2500年前から作られました。
ティラワを案内して翌日(11日)はヤンゴンの不動産屋の方に、ヤンゴン市内の物件を案内してもらい一日は物件見るだけで終わりました。
その日はとても疲れましたので、翌日の土曜日(12日)はちょっと軽いスケジュールを立て直し、日本人の方を実家に遊びに連れて行くことにしました。
12日は日本人の方の為に母が昼ご飯を準備してくれました。
日本には空心菜は高くて、めったに買って食べないですが、
ミャンマーには空心菜はとても安くて新鮮で美味しいです。
こちらはミャンマーのデザートです。ミャンマーのデザートにはメインとしてお茶の葉っぱサラダと果物になります。
14日からはネピード、マンダレーの一泊二日の旅行でした。
レンタルカーで行きました。レンタルカーの料金は一日9000円+ガソリン代になります。
マンダレーまで往復でだいたい3万5千円ぐらいでした。
ミャンマーは物価が安いですが、車と土地は高いです。
コチラはネピードの写真です。去年までは外国人立ち入り禁止されましたが、
今は、入れるようになりました。
しかし、禁止されているところもあります。
気楽に行けるように日本人の方にミャンマーの洋服を使って、ミャンマー人のふりして連れて行きました。
「涼しい、涼しい」と言ってミャンマーの洋服を気に入っているみたいです。(^_^)
朝4時に起きて、ホテルに日本人の方を迎えに行き、そこからネピードへ出発、
ヤンゴンから5時間でネピードに到着し、2時間ぐらいネピードを回って、
昼ご飯を食べて、マンダレーへ出発!
以下はネピードのお昼ご飯、5人分で12000チャット(1200円)ぐらいでした。
ネピードから約4時間でマンダレーに到着!
みんな疲れているみたいなので、すぐ夕食を取ってホテルに向かいました。
マンダレーは中国系の人たちが多いので、食事も中華料理が多いです。
夕食はだいたい1300円ぐらいでした。
翌日は朝5時で起きて、マンダレーを回り、10時ぐらいにマンダレーからヤンゴンへ戻りました。
ミャンマーではみんな早寝早起きで、5時ぐらいでもレストランはにぎやかです。
こちらはミャンマーの最後の王様が住んでいた、場所です。
最後の写真から見えている山はマンダレー山です。
マンダレー山も登って早速ヤンゴンへ戻りました。
夜10時ぐらいにヤンゴンに到着し、翌日は日本に戻りました。
2年ぶり帰ってきましたが、毎日ばたばたして帰った気がしなかった。
通訳していたら、結局ヤンゴンの写真もあまり撮れませんでした。
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スターフィールド編集部
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